2011年06月13日
修行時代 その035
昭和62年春、地元の高校を卒業した僕は、
東京都杉並区のとある理容室に修行のため入店。
この時から6年間の東京生活が始まりました。
ここでは、その頃の日常の出来事を綴っていきます。
修行をはじめて3~4年くらい経った頃、
東京にカラオケBOXなるものができてきました。
僕が住んでいた杉並区久我山の駅前にも喫茶店を改装して
1軒のカラオケBOXができました。
2年先輩のイマザーさん(山梨県出身)が僕たちを誘います。
「カラオケ行こーぜ。」
駅前のカラオケBOXは地下にあります。
4~5人が入れる部屋が6~8部屋くらい、
10人は入れる部屋が1部屋、だったと記憶しています。
しかし、カラオケなんて生まれて初めて。
知ってる人達とはいえ人前で歌を披露するなんて、
恥ずかしいったらありません。
僕はドキドキしながら曲を入力しました。
初めて歌ったカラオケは、リンドバーグの「今すぐキスミー」。
当時のカラオケはレーザーディスク。
TVモニターの下の機械の窓から選ばれたレーザーディスクが
ゆっくりと運ばれていくのが見えます。
1曲歌ってしまえば恥ずかしさもどこへやら。
それからというもの休みの前の晩は店の連中と
カラオケを楽しむようになりました。
ある夏の晩なんて、
「すみません、冷房が壊れちゃって・・・。」
と店員サン。
ウチワを扇ぎながら熱唱した事もありました。
携帯電話もインターネットも無い時代、
そう、TVくらいしか楽しみが無かった時代です。
暇な夜の最高の娯楽ができました。
東京都杉並区のとある理容室に修行のため入店。
この時から6年間の東京生活が始まりました。
ここでは、その頃の日常の出来事を綴っていきます。
修行をはじめて3~4年くらい経った頃、
東京にカラオケBOXなるものができてきました。
僕が住んでいた杉並区久我山の駅前にも喫茶店を改装して
1軒のカラオケBOXができました。
2年先輩のイマザーさん(山梨県出身)が僕たちを誘います。
「カラオケ行こーぜ。」
駅前のカラオケBOXは地下にあります。
4~5人が入れる部屋が6~8部屋くらい、
10人は入れる部屋が1部屋、だったと記憶しています。
しかし、カラオケなんて生まれて初めて。
知ってる人達とはいえ人前で歌を披露するなんて、
恥ずかしいったらありません。
僕はドキドキしながら曲を入力しました。
初めて歌ったカラオケは、リンドバーグの「今すぐキスミー」。
当時のカラオケはレーザーディスク。
TVモニターの下の機械の窓から選ばれたレーザーディスクが
ゆっくりと運ばれていくのが見えます。
1曲歌ってしまえば恥ずかしさもどこへやら。
それからというもの休みの前の晩は店の連中と
カラオケを楽しむようになりました。
ある夏の晩なんて、
「すみません、冷房が壊れちゃって・・・。」
と店員サン。
ウチワを扇ぎながら熱唱した事もありました。
携帯電話もインターネットも無い時代、
そう、TVくらいしか楽しみが無かった時代です。
暇な夜の最高の娯楽ができました。
Posted by すがぬま理髪店 at 20:57│Comments(2)
│修行時代
この記事へのコメント
え〜
テレビぐらいしか楽しみがなかった時代の娯楽といえば、やっぱりボーリングじゃないんですか?

テレビぐらいしか楽しみがなかった時代の娯楽といえば、やっぱりボーリングじゃないんですか?

Posted by ボラボラ at 2011年06月13日 22:37
あ~、ボーリングもよくやったよね。
でも近所になかったからカラオケBOXほどお手軽じゃないっけよ。
でも近所になかったからカラオケBOXほどお手軽じゃないっけよ。
Posted by すがぬま理髪店
at 2011年06月14日 22:50
