2011年08月20日
子供の頃の思い出 その009
長文です。
町内の小学生のソフトボールチームに入っていた僕。
とてもヘタッピでした。
打順は下位打線。守備は外野。
いやホント、ヘタッピでした。
打席に立てば三振か打ってもアウト。
たまにシングルヒット。
バントは得意だったので走者がいれば送りバント要員。
いやホント、ヘタッピでした^^
そんな僕でも一度だけホームランの経験があります。
とある試合(大会か練習試合か忘れました)。
相手は隣町の「柳町チーム」。
その日は月曜の祝日だったので
珍しくうちの両親もカメラ&三脚持参で観戦に来ていました。
「いいとこ見せなくちゃ。」なんて気持ちも無く、
いつも仕事で来られない親がいるから、なんか恥ずかしさが・・・。
試合開始。
やはり特に目立つ活躍もできずそれでも回は進み、何回目かの僕の打席。
塁はなんと満塁。(得点は覚えてません。)
ベンチの前田さん(コーチ)をチラッ。
いつものバントのサインは出ず(満塁だしね)。
「お願いします!」
帽子を取って深々とおじぎをして打席に入ります。
バットはいつもの少し凹んだ金色の金属バット。
(チーム所有のバットの中でも軽量。腕力無かったから・・・)
「ットライ~ック!」
審判の声。
「バッチ、来ぉ~い!」
守備をしている選手の声。
ビビる僕。
皆、僕より上手に見える。いつもの事・・・。
何球かの後、僕の振ったバットは球に当たりました。
しかし、ボテボテのセカンドゴロ。併殺打コース・・・。
「またか・・・。」
こんな絶好のチャンスでも、やはり活躍なんて僕には無縁。
すると柳町のセカンドの選手、
スピードが少し速めのゴロのせいか、
はたまた安倍川の荒れたグランドでのイレギュラーバウンドのせいか、
なんとも見事なトンネルをしたのでした。
しかもライトとセンターの選手は基本であるセカンドのカバーに来ておらず
僕の打ったボテボテのセカンドゴロはライトとセンターの間をも抜けて
むこうのグラウンドまでコロコロコロコロと転がって行ったのでした。
(河川敷のグランドは外野のフェンスがありませんからね。)
うちのチームの歓声と相手チームの悲鳴が入り混じって
グランドはすごい事になりました。
必死に走る僕。1塁・・・2塁・・・。
走者もどんどんホームに帰ります。
3塁コーチャーボックスの、ひいやん(下級生。でも僕よりうまい)が
「回れ!回れ!」とばかりに腕をグルグル回していました。
「ホームまで行ける!」
3塁を蹴って滑り込まずにホームに余裕で帰ってきたころ
ようやくボールが内野に届きました。
満塁ホームラン!
ベンチは大歓声で僕を迎えてくれます。
慣れない事でかなり照れくさい・・・。
いつもヘタな僕を気にかけてくれていた青木君のじいちゃんが
顔をしわくちゃにしながら僕に握手を求めてきました。
握手をしてチーム内はまた大歓声、そして拍手。
こんな時、喜びを表に出さない僕。
でもそれからいつもの様に地面に体育座りをしたら少し涙が出ました。
生まれて初めて、最初で最後のホームランは、
相手のエラーによる決してかっこいいホームランではなかったけれど、
30年経った今でもつい先日の事のように鮮明に覚えている
僕には珍しい輝かしい過去の出来事です。

追記①:
カメラを三脚にかまえていた父親に、
「僕のホームラン撮った?」
と聞いたら、
「三脚の前に人がたくさん居たから撮れなかった。」
と言われました。
ちょー残念なんですけど!
追記②:
中学に入り、友達が柳町在住だと言ったのでその話をしたら、
「えぇ!?俺セカンドだったよ!」
あの時のトンネル小僧はお前かっ!^^(実話)
町内の小学生のソフトボールチームに入っていた僕。
とてもヘタッピでした。
打順は下位打線。守備は外野。
いやホント、ヘタッピでした。
打席に立てば三振か打ってもアウト。
たまにシングルヒット。
バントは得意だったので走者がいれば送りバント要員。
いやホント、ヘタッピでした^^
そんな僕でも一度だけホームランの経験があります。
とある試合(大会か練習試合か忘れました)。
相手は隣町の「柳町チーム」。
その日は月曜の祝日だったので
珍しくうちの両親もカメラ&三脚持参で観戦に来ていました。
「いいとこ見せなくちゃ。」なんて気持ちも無く、
いつも仕事で来られない親がいるから、なんか恥ずかしさが・・・。
試合開始。
やはり特に目立つ活躍もできずそれでも回は進み、何回目かの僕の打席。
塁はなんと満塁。(得点は覚えてません。)
ベンチの前田さん(コーチ)をチラッ。
いつものバントのサインは出ず(満塁だしね)。
「お願いします!」
帽子を取って深々とおじぎをして打席に入ります。
バットはいつもの少し凹んだ金色の金属バット。
(チーム所有のバットの中でも軽量。腕力無かったから・・・)
「ットライ~ック!」
審判の声。
「バッチ、来ぉ~い!」
守備をしている選手の声。
ビビる僕。
皆、僕より上手に見える。いつもの事・・・。
何球かの後、僕の振ったバットは球に当たりました。
しかし、ボテボテのセカンドゴロ。併殺打コース・・・。
「またか・・・。」
こんな絶好のチャンスでも、やはり活躍なんて僕には無縁。
すると柳町のセカンドの選手、
スピードが少し速めのゴロのせいか、
はたまた安倍川の荒れたグランドでのイレギュラーバウンドのせいか、
なんとも見事なトンネルをしたのでした。
しかもライトとセンターの選手は基本であるセカンドのカバーに来ておらず
僕の打ったボテボテのセカンドゴロはライトとセンターの間をも抜けて
むこうのグラウンドまでコロコロコロコロと転がって行ったのでした。
(河川敷のグランドは外野のフェンスがありませんからね。)
うちのチームの歓声と相手チームの悲鳴が入り混じって
グランドはすごい事になりました。
必死に走る僕。1塁・・・2塁・・・。
走者もどんどんホームに帰ります。
3塁コーチャーボックスの、ひいやん(下級生。でも僕よりうまい)が
「回れ!回れ!」とばかりに腕をグルグル回していました。
「ホームまで行ける!」
3塁を蹴って滑り込まずにホームに余裕で帰ってきたころ
ようやくボールが内野に届きました。
満塁ホームラン!
ベンチは大歓声で僕を迎えてくれます。
慣れない事でかなり照れくさい・・・。
いつもヘタな僕を気にかけてくれていた青木君のじいちゃんが
顔をしわくちゃにしながら僕に握手を求めてきました。
握手をしてチーム内はまた大歓声、そして拍手。
こんな時、喜びを表に出さない僕。
でもそれからいつもの様に地面に体育座りをしたら少し涙が出ました。
生まれて初めて、最初で最後のホームランは、
相手のエラーによる決してかっこいいホームランではなかったけれど、
30年経った今でもつい先日の事のように鮮明に覚えている
僕には珍しい輝かしい過去の出来事です。

追記①:
カメラを三脚にかまえていた父親に、
「僕のホームラン撮った?」
と聞いたら、
「三脚の前に人がたくさん居たから撮れなかった。」
と言われました。
ちょー残念なんですけど!
追記②:
中学に入り、友達が柳町在住だと言ったのでその話をしたら、
「えぇ!?俺セカンドだったよ!」
あの時のトンネル小僧はお前かっ!^^(実話)
タグ :理容