2011年11月16日
修行時代 その042
昭和62年春、地元の高校を卒業した僕は、
東京都杉並区のとある理容室に修行のため入店。
この時から6年間の東京生活が始まりました。
ここでは、その頃の日常の出来事を綴っていきます。
後輪が滑ってビビッた話。
ある夜、用事を頼まれました。
「支店にある荷物を取ってきてほしい。」
マスターの車を借りて後輩のオーモリと
片道20分の支店へと向かいました。
マスターの車は日産グロリア・グランツーリスモSV(Y31)。

ターボ付きの2000ccエンジンはとても力があって実際速く
外観もカッコいい若者向けのスポーティーな車でした。
この車、本店のお客様から、
「残りのローン分の金額でいいから。」
と言われてマスターが買ったお買い得車(笑)。
その車を僕がハンドルを握り国道20号を新宿方面へと走らせました。
さっきまでの雨で路面は少し濡れています。
当時は運転なんてほとんどしない生活だったから
東京の街を走るのは全然慣れてなかったけど、
支店までの道のりはなんとか覚えていました。
えっと・・・ここで高架に乗って・・・このアンダーパスをくぐって・・・
今のうちに車線はこっち側に居ないとな・・・
笹塚あたりで首都高の下を右折します。
運命の交差点です(笑)←今だから笑える^^
対向車が居なかったか、右折の矢印式信号が出ていたかで
停止せずとも右折できました。
すると突然後輪が外側へツルツル~ッと滑り出すではありませんか!
交差点への侵入スピードが速かったのか、
曲がってからアクセルを踏むタイミングが早かったのか、
今となっては思い出せませんが
とにかくツルツル~ッとグロリアは濡れた路面を滑っていきます。
「スガヌマさん!滑ってる!滑ってる!」
叫ぶオーモリ。
アセる俺^o^;
とっさにハンドルで修正。
車をまっすぐ立て直す事ができました(まぐれ)。
「ぶはーっ!びっくりした!」
心臓バクバク!
片側2車線(要は広い)の道路だった為
何処にも接触しなかったのは不幸中の幸い。
無事に支店に着き、荷物を載せ、
帰りは慎重に慎重に車を走らせました。
当時はいわゆる走り屋がカッコイイなんて風潮だったけど、
スポーティーな走りの代名詞である「ドリフト」の状態に
いざなってみると「おっかねー(汗)」としか思えませんでした。
(特に一般道だったしね^^)
やっぱし、車(バイクも)は無事故無違反安全運転がイチバンですな。
東京都杉並区のとある理容室に修行のため入店。
この時から6年間の東京生活が始まりました。
ここでは、その頃の日常の出来事を綴っていきます。
後輪が滑ってビビッた話。
ある夜、用事を頼まれました。
「支店にある荷物を取ってきてほしい。」
マスターの車を借りて後輩のオーモリと
片道20分の支店へと向かいました。
マスターの車は日産グロリア・グランツーリスモSV(Y31)。

ターボ付きの2000ccエンジンはとても力があって実際速く
外観もカッコいい若者向けのスポーティーな車でした。
この車、本店のお客様から、
「残りのローン分の金額でいいから。」
と言われてマスターが買ったお買い得車(笑)。
その車を僕がハンドルを握り国道20号を新宿方面へと走らせました。
さっきまでの雨で路面は少し濡れています。
当時は運転なんてほとんどしない生活だったから
東京の街を走るのは全然慣れてなかったけど、
支店までの道のりはなんとか覚えていました。
えっと・・・ここで高架に乗って・・・このアンダーパスをくぐって・・・
今のうちに車線はこっち側に居ないとな・・・
笹塚あたりで首都高の下を右折します。
運命の交差点です(笑)←今だから笑える^^
対向車が居なかったか、右折の矢印式信号が出ていたかで
停止せずとも右折できました。
すると突然後輪が外側へツルツル~ッと滑り出すではありませんか!
交差点への侵入スピードが速かったのか、
曲がってからアクセルを踏むタイミングが早かったのか、
今となっては思い出せませんが
とにかくツルツル~ッとグロリアは濡れた路面を滑っていきます。
「スガヌマさん!滑ってる!滑ってる!」
叫ぶオーモリ。
アセる俺^o^;
とっさにハンドルで修正。
車をまっすぐ立て直す事ができました(まぐれ)。
「ぶはーっ!びっくりした!」
心臓バクバク!
片側2車線(要は広い)の道路だった為
何処にも接触しなかったのは不幸中の幸い。
無事に支店に着き、荷物を載せ、
帰りは慎重に慎重に車を走らせました。
当時はいわゆる走り屋がカッコイイなんて風潮だったけど、
スポーティーな走りの代名詞である「ドリフト」の状態に
いざなってみると「おっかねー(汗)」としか思えませんでした。
(特に一般道だったしね^^)
やっぱし、車(バイクも)は無事故無違反安全運転がイチバンですな。