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2011年07月19日

子供の頃の思い出 その005

台風ですね。

子供の頃って台風と聞くとなぜかワクワクしました。


それは、安西小学区が水に強い地域だったから

そんな呑気な事を考えていられたのかもしれません。

妻の実家(清水区)などは昔は巴川の氾濫が頻繁にあったため、

大雨ともなるとすぐに避難できる準備(衣類など)を枕元に置いて就寝、

大切なものは2階へ移動させるなど、なかなか大変だったそうです。

また、僕の小さい頃はよく停電しました。

家族でろうそくの火を囲んで過ごした夜を

なんとなく覚えています。


台風とは違いますが、忘れてはならないのが、

昭和49年7月7日に静岡市周辺を襲った七夕豪雨

死者27名、全壊・流出家屋数32戸、床上浸水11,981戸、

床下浸水14,143戸もの被害となる大規模な災害になりました。

当時のすがぬま理容室のお客様も被災し、

そのお家へ父が使い古しの店のタオルを届けて喜ばれた、

なんて話も聞きました。

実際、妻の昔の写真を見せてもらうと所々シミがあります。

これは水に浸かって汚れてしまった、と聞きました。

お客様でも、寝ていて寝返りを打とうと

右から左へ体を反転させて畳に置いた腕が「ピチャンッ!」と(笑)

そこで初めて床上浸水に気付いたそうです(実話)。

子供だった僕は、ただただ浅間さんのリフトが無くなってしまった事

だけが残念でなりませんでした。

七夕豪雨の後、大谷川放水路が完成し、

そこで巴川の氾濫にはピリオドが打たれます。


現在の静岡市葵区賎機地区も水害に悩まされましたね。

(今もそうか?)

中学生の時、観山中学に行ったら校庭にボートが置いてありました。

海からこんなに離れた場所に何故ボート???と思いましたが、

水害の地域ならでは(?)の準備だったんですね。

「増水すると道路だか田んぼだかわからなくなっちゃって・・・

よく自動車が田んぼにハマッちゃってたんだよ。」

なんて僕んちからほんの数kmしか離れてない場所とは

思えない事実を友達から聞いたものでした。


昔に比べたら静岡市も水害に強くなったでしょう。

サッシの窓は昔のように雨戸を閉める必要も無くなったし。

子供には安心して暮らせる町になりました(かな?^^)。

  


Posted by すがぬま理髪店 at 22:53Comments(0)バイクと育児と少年時代